オーストリアの首都ウィーンは音楽の都として知られていますが、コーヒーも根付いていてパリに負けず劣らずのカフェ文化が築かれています。
ウィーンの街中にはおしゃれで伝統的なカフェが多く並んでいますが、そんなウィーンで初めてできたカフェは「青い瓶」という名前のカフェでした。この名前を聞くとブルーボトルコーヒーを連想する人もいるかと思いますが、ブルーボトルコーヒーの名前の由来はここなのではないかと言われています。
今回はそんなウィーン初のカフェである青い瓶について、どのような経緯でカフェが出来上がったのかなどを書いて行こうと思います。
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青い瓶は伝令係コルシツキーによって作られた
ウィーン初のカフェである青い瓶ができるきっかけは一つの戦争でした。17世紀のウィーンは神聖ローマ帝国の首都だったのですが、当時絶大な勢力を誇っていたトルコによって攻め入られており街は包囲されていました。
トルコ軍によって街が包囲されてピンチに陥ったウィーンですが、伝令係をしていたフランツ・コルシツキーが何とか包囲網をかいくぐってポーランドに救援を伝えたことで、ウィーンの街は何とかトルコ軍から守られました。
トルコではもともとコーヒーを飲む文化があり、トルコ軍はウィーンを包囲した際にも長期戦になっていたので大量のコーヒー豆を準備して飲んでいました。コルシツキーの活躍でトルコ軍が撤退すると、その後には大量のコーヒー豆が残されました。
戦利品を分配するときに当然功労者であるコルシツキーにも分配があったのですが、当時はまだウィーンではコーヒー豆が普及しておらず誰もコーヒー豆を望むものはいませんでした。
しかし、コルシツキーは「誰もこの謎の豆が欲しい人いないんだったら俺がもらうよ」ということでコーヒー豆をもらっていきました。
このコーヒー豆を使ってコルシツキーは「青い瓶」という名前のカフェを開いたのです。これがウィーンで初のカフェの始まりでした。誰も価値が見出せなかったコーヒー豆にコルシツキーは価値を見出すことができたのです。
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青い瓶は実はウィーン初のカフェではないという説も
ウィーン初のカフェは「青い瓶」であるという話はヨーロッパでは有名な話ですが、実際にその話が正しいかどうかは実は微妙と言われています。当時の記録の中には青い瓶よりも先にウィーンでコーヒーが販売されていたというものもあり、ウィーン初のカフェはそこではないのかという説もあるためです。
いかんせん昔の話であり正確な記録がどれか分からないのでどの話が本当なのかは不明です。しかし、どちらにしてもコルシツキーがウィーンの街をトルコから守ったということとコーヒー文化を築き上げたという2点においては間違いありません。
ウィーンのコーヒー文化は最高レベル
コルシツキーの青い瓶などの影響もあり、ウィーンではその後カフェ文化が栄えました。実際にウィーンのコーヒーハウスはユネスコの無形文化遺産にも登録されました。
コルシツキーの青い瓶がなければここまでウィーンのカフェ文化は発達しなかったかもしれません。これからもウィーンのカフェは人々の心を癒していくことでしょう。そしてウィーンの地をはるか超えてアメリカ、そして日本でもブルーボトルコーヒーにその絶妙なセンスは受け継がれています。
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