コーヒーの起源には諸説が多くあります。
今でこそ世界中で飲まれているコーヒーは、元々は自然の中で自生していた木の実(コーヒーノキ)ですから、どこでいつ頃に発見され、また飲み物とされるようになったか、とても多くの話が残されています。
中には信憑性の高いもの、現在では最有力とされている説もあり、また信用するにはずいぶん薄っぺらい話だなあと疑われるものも…。
そんな中、今では多く知られるコーヒーの起源、その諸説をいくつか紹介してみたいと思います。
ヒツジ飼い「カルディ」
こちらは、とても有名なエピソードになります。あらかじめ言うと実は結構疑わしい話ではあるのですが、ひとつの神話(童話)のようにして現在でも世界中で知られていますね。また日本にも数多く出店しているコーヒー輸入チェーン「カルディ」もこの話から取って名称としたそうです。
・9世紀頃のエチオピアでのこと。ヒツジ飼いとして暮らしていた少年カルディは、ある日、飼っていたヒツジの中に元気の良いのがいることに気付きます。そのヒツジをよくよく観察していると、木になっていた赤い実を食べていたのです。
カルディはその木の実を取り、自らも食べてみたり、煮出してみたりしてみます。そしてそれを修道院に持っていくと、僧侶たちによって薬だと定められ、僧侶の祈りの際のきつけ薬として、また病人に与えられたりと広まっていきました。

この話の特筆すべきは、9世紀だと言い切っているところです。コーヒーがアラビア圏(コーヒーベルト(赤道付近)に属する中東・アフリカの国々)に広まったのは13世紀頃とされており、カルディのこの伝説は何とも証明しがたいものとなっています。
本国エチオピアに行っても、キチンとした証拠などあるのか何とも言えません。ですが、カルディが発見したかどうか以前に、修道院にいる修道士(スーフィー)らによってコーヒーが飲まれていたという説はあり、またエチオピアでは昔からボン(コーヒー豆)を煮て食べたり、コーヒーの葉で淹れた「アメルタッサ」、葉を炒って淹れる「カティ」という飲み物はあり、それがいつ頃からはさておき、かなり古くからコーヒーは食料として用いられていた歴史があります。
カルディのエピソードの真意はさておき、エチオピアがコーヒー発見の地とされることはあながち間違えていないのかもしれませんね。
修道士「シーク・オマール」
・13世紀のイエメンの都市モカに暮らす修道士「シーク・オマール」はある時、王女(権力者の娘ともいわれる)に恋をしてしまい、その罪で街を追いやられます。
オマールはその後、山中を歩き、鳥がついばむ木の実を発見。それを自分でも食べてみると、とても力がみなぎってきました。オマールは木の実を煮てスープにしたりと工夫した後、街へ戻りそれを献上すると、罪を許されました。

コーヒー起源の説として、カルディ同様に有名な「シーク・オマール」修道士の話です。
ただこちらは、イエメンのその頃の文献に全くその名が残っておらず(一時は罪人とされたからか)、後々にヨーロッパへ伝えられたコーヒーの歴史として、現れた説とされています。
またそもそもイエメンにコーヒーノキが(当時)自生していたかという疑いがあります。記録によるとイエメンにアフリカからコーヒーノキが移植されたのが1470年とされており、それが真実となると話が矛盾してきます。
更には、モカがコーヒー産業、貿易の地として栄えた後に模造されたとまでいわれていますね。コーヒーがイスラム圏でそれらしく広まった頃の説なので、時期的にはとても辻褄が合っているようにも思えるのですが…。
修道士「シーク・ゲマレディン」
・1454年(15世紀)、イエメンのアデンにいた修道士「シーク・ゲマレディン」がエチオピアに行った際、コーヒーのことを知ります。帰国後、体調を悪くしたゲマレディンがエチオピアのコーヒーを飲めば良くなるかもしれないと思い、取り寄せて試してみたところ、身体は回復し、またそのことを他の修道士達にも教えたことから広まりました。
ゲマレディンの話は、一つ前に紹介したオマールの話よりは裏付ける文献や証言等の記録も多く残っており、コーヒーを広めたのはゲマレディンであるというのが有力な説だそうですね。
ちなみに、ゲマレディンが1454年にエチオピアを訪れたとありますが、それ以前の1450年頃のイエメンでは「コーヒーが日常的に修道士に飲まれていた」という記述があり、少なからず修道士の間ではコーヒーを飲む習慣はあったようです。ゲマレディンがそれを知らずにいたか興味を持たずにいたのかは、定かではありません。
医師「ラーゼス」
記録として残る、最古のものだそうです。
アラビア人医師「ラーゼス」は900年(10世紀)頃、コーヒーに薬効力があると認めており、患者にコーヒーを煮出した汁「バンカム」(バン=コーヒー、カム=煮出し汁)を提供していたといわれています。彼の記録には「バンカムには強心、消化促進、利尿作用などがある」とあり、臨床試験結果まで残されています。
医師「アヴィセンナ」
イスラム教徒の医師「アヴィセンナ」によっても、バンカム(コーヒー)は薬として処方されていました。彼もまたバンカムを「味も良く、身体を温め、強化する。香りも良い」といった記述を残しており、薬として用いていたことを裏付けています。
アヴィセンナは980年の生まれで、ラーゼスの時代よりはずいぶん後になるので、記述の残っていない場所でも薬として医師に用いられていた可能性は否定出来ません。
コーヒーの起源は?
現存する記録としては、ラーゼスの物が最も古く、そして本人が医師であることなどから事実とされています。コーヒーは西暦900年頃にはすでにあり、しかも薬として処方されていたのです。
ということはですが、修道士が祈りの共にと飲んでいたのはそのだいぶ後になるのでしょうか。病院とはいえ、患者は市民ですから、薬として一般市民が飲んでいたのが実は修道士達よりも先だったのではということになりますね。オマールもイエメンも嘘つき呼ばわりされて大変ですが…、少なくともエチオピアから知ったというゲマレディンのコーヒー伝承の話は信憑性がとても高いのです。
また、そのボン(バン=コーヒー)はエチオピアからアラビア半島へ伝わったとされており、ラーゼスもまたエチオピアからやってきたそれを薬として用いていたのであれば、やはりコーヒーのルーツはエチオピアであるといえますね。
すると、カルディの伝説すら実話に思えてくるから不思議です(笑)
ちなみに、コーヒーが炒られて用いられるようになったのは13世紀頃です。それまでに薬として飲まれていたのはコーヒーの実をそのまま煮て飲むという、レモン色の汁です。今現在飲まれている黒いコーヒーとは香りも味も全然違うものなので、イメージとしては本当に薬膳の汁といった物だったのでしょう。
一般的には、というより個人的にも、カルディの説くらいしか知らずにいたので、紐解いてみると意外と辻褄が合っていたことに驚きです。エチオピア起源説は修道士と医師達、また羊飼いの少年によって少なからず証明されているといえるでしょう。
しかし、それ以前にアフリカのどこそこの民族によって用いられていたとしても、不思議ではありません。もうそれを誰も証明することは出来ないのですが…。